2022年01月20日(木)

「Viva Video! 久保田成子展」レビュー
馬定延「生と芸術の賛歌:Viva Video! 久保田成子」

馬定延氏(関西大学准教授)が、韓国の美術雑誌『Wolgenmisool』(2022年1月)に「Viva Video! 久保田成子展」の展覧会レビューを書かれました。映像メディア学を専門とされる馬氏による論を日本語でも読めるよう、著者自身による邦訳をここに掲載させていただくことになりました。

  • Wolganmisool, January 2022 表紙


馬定延「生と芸術の讃歌:Viva Video! 久保田成子」

1937年8月2日、新潟に4人姉妹の次女として生まれた久保田成子は、東京教育大学(現・筑波大学)で彫刻を学んだ後、1964年に渡米し、2015年7月23日までアメリカを拠点に国際的に活動した、映像と彫刻を組み合わせた「ヴィデオ彫刻」で知られるアーティストである。2021年、彼女の大規模個展「Viva Video! 久保田成子」展が日本中を巡回している。新潟県立近代美術館(3月20日〜6月6日)、大阪の国立国際美術館(6月29日〜9月23日)で行われたこの展覧会は、11月13日から2022年2月23日まで東京都現代美術館で開催されている。1991年に行われた回顧展「Shigeko Kubota Video Sculpture」(American Museum of Moving Image、翌年から日本とヨーロッパを巡回)以来、代表的なヴィデオ彫刻を一度に展覧する個展は、世界的に見ても30年ぶりとなる。他方、12月の現在、ニューヨーク近代美術館では「Shigeko Kubota: Liquid Reality」展が開かれている。こうして、2021年は奇しくも日本とアメリカで同時に久保田の個展が開催された年となった。12月19日には、ニューヨーク近代美術館(以下MoMA)のエリカ・ペイパーニク・シミズ、久保田成子ヴィデオ・アート財団のリサーチ&プログラム・ディレクターのリア・ロビンソン、そして「Viva Video! 久保田成子」展を共同企画した、濱田真由美(新潟県立近代美術館)、橋本梓(国立国際美術館)、西川美穂子(東京都現代美術館)、由本みどり(ニュージャージー・シティー大学准教授/ギャラリーディレクター)が登壇するトーク・イベント「今なぜ久保田成子なのか」が開催される。

《ヴィデオ・ポエム》1970-75/2018年、久保田成子ヴィデオ・アート財団蔵(東京都現代美術館での展示風景、2021年)撮影:森田兼次

東京都現代美術館での展示風景、2021年 撮影:森田兼次

今なぜ久保田成子なのか —— この問いは、「Viva Video! 久保田成子」展を理解するための、ひとつの鍵となる。そこにはまず、1990年代から濱田の前任者の佐々木奈美子が1990年代から久保田の個展を検討していたが、2004年の地震などで実現されなかったという現実的な経緯がある。濱田が改めて出した企画が動き出したのは2009年のことなので、この展覧会の実現まで約12年の年月が必要だったということになる。その時間の中には、2011年に展覧会の企画を打診しにアメリカを訪れた濱田に久保田が、その前年に韓国語で出版された久保田の著書『私の愛、ナムジュン・パイク』をプレゼントしたことがきっかけとなって、濱田の同僚だった故高晟埈の翻訳により2013年に日本語版(平凡社)が出版されたという、興味深いエピソードが残っている[1]

《デュシャンピアナ:マルセル・デュシャンの墓》1972–75/2019年、久保田成子ヴィデオ・アート財団蔵(東京都現代美術館での展示風景、2021年)撮影:森田兼次

久保田本人の同意のもとで稼働しはじめたこの企画に、東京都現代美術館の西川と国立国際美術館の橋本が加わり、さらに作家の没後2015年9月に設立された久保田成子ヴィデオ・アート財団に関わってきた由本が参加することになった。新潟、東京、大阪、ニューヨークを連携したこの共同企画が、2020年から始まった全世界的なコロナ禍に加え、財団の所在地のニューヨーク、ソーホー地区におけるブラック・ライヴズ・マターの抗議運動の影響による困難な過程を経て実現されたことは想像に難くない。しかし、美術館3館と財団との協力のもとで行われた資料の整理、ヴィデオ彫刻本体の木材部分などの修復、映像と機材のアップデートは、今後、久保田の歴史的な評価作業を容易にするだろう。それは、今回の展覧会をきっかけに展示可能になった作品が、今世紀に入って活発に議論されてきたメディア・アート一般の課題に対するひとつのケース・スタディーとなるだけでなく、展示ごとに作品の形態と展示方法を変えたり、同じタイトルを持つ異なるバージョンの作品を作ったりした久保田の美学に特化した保存修復の方針の一例を示したからでもある。西川は、「マルセル・デュシャンに代表されるアプロプリエーション(引用)や、フルクサス的複製(マルティプル)の考え方など現代美術における重要な概念に基づくものであり、ヴィデオという電子的メディアの持つ脆弱性や流動性に対応したもの」だとし、久保田の作品が「コンセプチュアルな成り立ちを持っているからこそ、最初のコンセプトおよび形を元に、場所ごとに制作することが可能なのである」と書いた[2]。 長期間の調査研究で裏付けられた4人の共同企画者の論考、久保田の知人の追悼文とエッセイが収録された図録は、久保田の作品世界を概観できる充実した文献資料としてこれからも活用されるだろう。

《デュシャンピアナ:階段を降りる裸体》1975–76/83 年、富山県美術館蔵(東京都現代美術館での展示風景、2021年)撮影:森田兼次

「Viva Video! 久保田成子」展は以上のような経緯を経て実現されたが、それが「今」開催されることの意義には、近年における女性作家の再評価の文脈で読まれる側面もある。特に日本国内の場合、同時期に「アナザーエナジー展:挑戦しつづける力 —世界の女性アーティスト16人」(森美術館)、ピピロッティ・リストの大規模個展(京都国立近代美術館・水戸芸術館現代美術ギャラリー)、「フェミニズムズ」展と「ぎこちない会話への対応策—第三波フェミニズムの視点で」展(金沢21世紀美術館)などが開催され、雑誌『美術手帖』の「女性たちの美術史」特集(2021年8月号)が組まれるなど、「女性作家」への関心が高まっている。久保田が女性作家であることが必ずしも企画の出発点ではなかったが、橋本が指摘する通り、2019年にリニューアル・オープンしたMoMAの常設展示など、♯MeToo運動を反映してきた美術界の国際的な文脈の中で久保田展に注目する人もいるだろう[3]。 そういえば、偶然だろうか、時代的な必然だろうか、前述したトーク・イベント「今なぜ久保田成子なのか」の登壇者は全員女性である。

《河》1979–81/2020年、久保田成子ヴィデオ・アート財団蔵(東京都現代美術館での展示風景、2021年)撮影:森田兼次

性とジェンダーが個人の人生を条件づける要素の一部であることを考えると、久保田の生涯を時系列に沿って網羅的に紹介したこの展覧会から、アーティストの生物学的、社会的な次元の女性性が見て取れることは当然のことだといえよう。特に久保田は、直接的な死因となった乳がんを患う前から、晩年の著書で本人が初めて明らかにしたように子宮の摘出という健康上の問題と日本とアメリカの文化的相違点を経験したため、アジア人の女性としてのアイデンティティを強く意識することになったかもしれない。その意味で、今回の展覧会で見た忘れられない資料のひとつは、久保田のデザインしたポスター「ホワイト ブラック レッド イエロー」(1972)だった。文字通り、白人のメアリー・ルシエ、黒人のシャーロット・ワレン、ナヴァホ族のセシリア・サンドヴァル、アジア人の久保田、4人の女性アーティストからなるこのグループは、短期間の活動で終わったものの「オリジナルの視覚的で音声も伴う劇場作品を発表することに徹する」ことを活動の方針としてかかげ、当時の第2波フェミニズムに呼応して「フェミニストの作品の交換所」のような役割を図ったという美術史的な重要性を持っている。また、同時期は1970年に最初の夫、デイヴィッド・バーマンと決別し、ナムジュン・パイクと一緒になってロサンジェルスでヴィデオ作品の制作を手がけ始めた、個人史の中でも転機であった。

そもそも、彼女はなぜアメリカに移住したのだろうか。1963年12月1日から7日まで内科画廊で開催された、初個展「1st. LOVE, 2nd. LOVE…久保田成子彫刻個展」では、ラブレターの切れ端の上に白い布が敷かれ、観客がその紙の山を登って立体物を鑑賞するようになっていた。案内状と手紙を送ったものの、当時の影響力のある美術評論家の反応は冷淡だった。その反面、展覧会を訪れたナムジュン・パイクは「創意的で独特」、そして「珍しくスケールが大きい大陸的な作品」と評価した。そこで彼女は保守的な日本の美術界から離れて、アメリカに出ることを決意したそうだ[4]。 さらに直接的な渡米の契機となったのは、オノ・ヨーコの紹介で連絡を取り合っていたフルクサスのジョージ・マチューナスから送られてきた、1964年の招待状だった。その手紙はコンサートの参加を誘う内容だったが、久保田は手紙で「アーティストとして生きるためにニューヨークへ行く」ことをマチューナスに伝え、制作の材料を詰め込んだ《フルクサス・スーツケース》(1964)(後日命名)を送った後、アメリカに旅立った。

《デュシャンピアナ:自転車の車輪1, 2, 3》1983–90年公益財団法人アルカンシエール美術財団/原美術館コ レクション(東京都現代美術館での展示風景、2021年)撮影:森田兼次

観客の鑑賞体験の面からすると、「Viva Video! 久保田成子」展のクライマックスは、このような初期の資料に引き続き、久保田の代表的なヴィデオ彫刻「デュシャンピアナ」シリーズ、《三つの山》(1976-79)、水やモーター、プロジェクションによる動的な要素を取り入れた《河》(1979-81)、《ナイアガラの滝》(1985-87)などを一堂に見渡せる展示の中盤であろう。一方、筆者が心を打たれたのは「死」に関連する作品群だった。シングルチャンネル・ヴィデオ作品《ブロークン・ダイアリー:私のお父さん》(1973-75)で、久保田は闘病中の父と年末年始のテレビ番組を眺めている場面と、父が亡くなった後にテレビの画面でその場面を見返しつつ、泣きながら画面をなだめる自分の姿を交差させる。この作品を見たパイクは「ヴィデオにとっての死を発明したのは成子 (It was Shigeko who invented death for video)」と評価したが[5]、 確かに久保田にとってヴィデオはお墓のようなメディアだったかもしれない。《デュシャンピアナ:マルセル・デュシャンの墓》(1972-75)とパイクとの最初の韓国訪問の思い出をこめた《韓国の墓》(1993)が見せてくれるように、それは死と生、過去と現在と未来をつなぐ、明るくて美しいメディアである。

MoMAにヴィデオ・アート部門を立ち上げたバーバラ・ロンドンは、《デュシャンピアナ:階段を降りる裸体》(1975-76)を展示し、同館初のヴィデオ彫刻となる本作の収蔵に尽力したキュレーターである。近著『Video/Art: The First Fifty Years』(Phaidon, 2020)のなかでロンドンは、久保田を「勇猛果敢な芸術家・ヴィデオのキュレーター」と形容し、アンソロジー・フィルム・アーカイヴズで久保田が実施した定期上映会がニューヨークにおける初期ヴィデオ・アートの主要な情報源だったと回顧した[6]。 それと同時に久保田は、雑誌への寄稿や翻訳を通じて、展覧会、作家、エコロジー運動、ドラッグ・カルチャーなどのアメリカの動向を日本に伝えることにも積極的だった。彼女は新しいメディウムを用いた表現が根を下ろすための環境づくりにも寄与した作家だったのである。そのような活動の軸は、今回のような総合的な展覧会の形式でないとなかなか理解できないということに改めて気付かされる。

東京都現代美術館での展示風景、2021年 撮影:森田兼次

「男性は思う、『我思う、ゆえに我あり』。女性である私は感じる、『我出血する、ゆえに我あり』。」1974年、MoMAで開催された国際会議「Open Circuits: The Future of Television (開かれた回路:テレビの未来)」に参加した久保田は、発表の冒頭でこのように述べた[7]。 数年前にこの発言を資料で接した際、筆者は個人差のある月経を女性一般の特徴として取り上げられたことや、男性と理性、女性と感性を結びつけた二項対立構造に違和感を覚えた。だが、今回の展覧会を見て「最近私は毎月一万フィートのテープを(月経のように)流してきた」[8]という、 制作と生きることそのものが一体化していた久保田の感覚を少し理解することができた気がした。晩年の久保田は、1996年に脳梗塞で倒れて障害を抱えたパイクが亡くなる2006年まで介護に専念し、最後の10年間は自らの病気と闘病した。最後に展示されていた《セクシュアル・ヒーリング》(1998)、「ナムジュン・パイクとの私の人生」展(2007)の資料、パイクから久保田への手紙、久保田のスケッチは、彼女の言う「愛」が、ひとりの男に限定されたものではなく、彼女自身の人生、そしてそれと切り離すことのできない芸術に対する愛だったと物語っているように思われた。

東京都現代美術館での展示風景、2021年 撮影:森田兼次

  • [1] 濱田真由美、橋本梓、西川美穂子、由本みどり「Viva Video! 久保田成子展 キュレーター座談会」『美術手帖』2021年8月号、136頁。
  • [2] 西川美穂子「久保田成子のヴィデオ彫刻 過去からのメッセージを受け継ぐために」『Viva Video! 久保田成子展』カタログ、河出書房新社、2021年、212、216頁。
  • [3] 『美術手帖』、138頁。
  • [4] 久保田成子、南禎鎬著、高晟埈訳『私の愛、ナムジュン・パイク』平凡社、2013、69-70頁。
  • [5] Nam June Paik, “Random Access Information (1980)” in John G. Handhardt, Gregory Zinman, Edith Decker-Phillips (eds.), We Are in Open Circuits: Writings by Nam June Paik, Cambridge, Massachusetts: The MIT Press, 2019, p.203
  • [6] Barbara London, Video/Art: The First Fifty Years, London, New York: Phaidon, 2020, p.32. 国立国際美術館の主催で、9月11日にロンドンと筆者のトーク・イベントが行われた。
  • [7] Shigeko Kubota, “Women’s Video in the U.S. and Japan” in Douglas Davis, Allison Simmons (eds.), The New Television: A Public / Private Art, Cambridge, Massachusetts, London: The MIT Press, 1977, pp. 97.
  • [8] 同上。

World Reportより邦訳転載

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