2024年04月18日(木)

翻訳できない わたしの言葉| マユンキキ 言葉をめぐる対話

マユンキキの展示コーナーで配布している、作品内で交わされている会話を編集したテキストデータです。翻訳、読み上げ、拡大、白黒反転など、ご自身が使いやすいようにご利用ください。

Below is the edited text data of the conversation in the video works by Mayunkiki. The online text can be translated, read out loud, enlarged, have their colors inverted from black to white, etc. as you like.
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言葉をめぐる対話1

イタカㇱ(itak=as)サジと

マユンキキ 私はアイヌ語が母語になる世界線があったかもしれないなって思うの。サジは日本語が母語でしょ? 韓国語が自分の母語になる可能性もあると思ったことある?

金サジ(以下、サジ) うん。マユンさんのおばあちゃんとかも、ふとしたときにアイヌ語が出ることがあったんじゃないかなと思ってて―。

マユンキキ ばあちゃんはないんだけど、叔母はいまだにある。

サジ うちの両親は完全に日本語話者やけど、祖父母は感情的になったときなんかに韓国語が出ることがあって、それを見ると自分が話している姿を想像するし、民族学校で言葉の教育を受けた人たちがふつうに使っているのを見ても思う。でも、それに対して否定的になっている自分、絶望する自分、そこにいたらいいなって思う自分もいて、ずっとブレてる感じ。

マユンキキ サジは民族学校には行ってないんだ。

サジ 行ってない。親は私に日本の教育を受けさせるのが望みというか、民族学校に入れる選択肢はなかったと思う。民族学校に行くと、韓国・朝鮮系の人間だとまわりにわかって、そのことで一世・二世はいい思い出がないから。

マユンキキ 選べるとしたら入っていた? 民族学校に。

サジ そればっかりは、そのときの自分じゃないとわからへん。それに民族学校行った子が私のような自己嫌悪にならへんかって言われると、それもわからへん。私が小学校のとき、チマチョゴリ切り裂き事件があって、民族学校に行ってる子がビビるんはあったと思う。日本の学校に行ってた私も怖ってなったから。

マユンキキ そうよね。私はさ、父から「お前はアイヌだけど、恥じるんじゃない」と物心つく前から言われていて。あと、母方がアイヌ記念館をやっているのもあり、自分がアイヌじゃないと思えたことが一回もない。サジは言われたの?

サジ 「誇りをもちなさい」とか、私は言われなかった。チェサ(法事)はやってたけど、コリアンとしての伝統を守っていかないといけないという家ではなかった。ただ、生活のなかで一世から言われたのと同じようなことを無意識のうちに親(二世)が私にも言っていて、それが在日である自覚につながったんはあるかな。あとは、まわりの環境も。たとえば、北海道の小学校でアイヌについての授業があるみたいに、京都でも在日に対して「かわいそうな人やから」―。

マユンキキ おお(笑)。

サジ (笑)みたいなことを授業で言われて。だから、じわじわ自覚させられ続けるのはあった気がする。

マユンキキ いま勉強してるじゃない? しんどいって言いながらさ(笑)。最初に韓国語をやろうってなったのはいつ?

サジ はっきり覚えてんけど、めっちゃおもろいって思って踊りのコミュニティに入ったら、日本語も韓国語もしゃべれる人らしかおらんくって、盛りあがったときにみんな韓国語になったり、韓国から誰かが来たら共通言語が韓国に切り替わったりして、そのときにポツンってなるやん。それで韓国語やらなあかんなと思って、踊りの師匠に教わることになったんやけど、韓国で生まれ育った人が当たり前に身についた言葉をわからない人に教えるのって実はすごい難しくて。丁寧に教えてくれてるはずなんだけど、私はまったく理解ができなくて、ヤバいってなって。「血があるから」とか言われんねん。

マユンキキ 血があるだけでしゃべるんだったら楽よね。そっか。でも、細く長く続けてるの?

サジ 言語はもう、めっちゃ挫折(笑)。

マユンキキ 何がそんな大変? それまで私は、アイヌであるのは疑いようのない事実で、嫌なことはあったけど、べつにアイヌだからどうこうって思わずいられてたわけよ。でも、アイヌ語を勉強しだしてから、それに付随していろんなことを知っていくから、アイヌに起きたことや背負わされてしまっていることにものすごい意識が行くようになっちゃって。一つひとつ知るたびに苦しい。私のもともとの亡くなっちゃった師匠はアイヌの人だったけど、そのあとに教えてもらうのは和人の先生が多かったから、なんで私は和人に(笑)、悪いわけじゃないよ、ただ違和感はあって。私がアイヌ語を学ぶってなったときにアイヌに教えてもらえないこの現状はなんだろうかと、すごく考えちゃって。だから、自分の母語だったかもしれない言語を学ぶのは、ほかの言語に興味をもって学ぶのと違うよなと思って。サジはどうなんだろう?

サジ 韓国語学習をYouTubeで検索するやん、ちょっと見たいなって。そしたら、だいたい日本人が出てくる。

マユンキキ (笑)。

サジ 日本人の私がどうやってこんだけ韓国語がペラペラにしゃべるようになったかみたいなんが、検索でヒットするやん。好きなアイドルが何を言ってるか知りたいから勉強を始めましたとか。一種の恋心みたいなんと思うんだけど、すごい目キラキラさしてしゃべってるのを見るたびに「ええな!」て(笑)。私はもともと人の何倍も頑張らなあかんタイプなんよ。で、ぜんぜんできひん自分にまずへこむ。まわりからは慰めや励ましがあるんだけど、できひん自分に対峙すると、なんか出来損ないみたいに思うところがあって。

マユンキキ 思っちゃうよ。とくに、その言語を自分が得られていたかもしれないという感覚があると余計に。

サジ アイヌ語は消滅危機言語になってるけど、韓国語は完全に奪われてはいない。でも、植民地支配があって、その歴史の経過のなかで私が韓国語話者になれなかったのは事実であって。それでも言葉をコミュニケーションツールとして、あっさり考えてしまえたらいいのかもしれないけれど、そうなれなかった自分がいる。言葉自体は奪われていないけれど、何かがそこで変えさせられて、それが心のなかに入り込んだとすごい思ってて。

マユンキキ そうね。韓国語を勉強しているのを「偉いね」みたいに言われることはある?

サジ うーんとね、それはあんまないかな。

マユンキキ 本当? アイヌはかなりあるのよ。アイヌがアイヌ語を学ぶと、「自分たちの大事な言葉をちゃんと学んで、偉いね」みたいに言われるわけ。うるさいよって思う。

サジ (笑)わかる。

マユンキキ だってさあ、こんなふうにあらためて学ばなくて済んだほうがよかったんですけどって思うし、たまたま私は言葉が好きだからアイヌ語を学んでみようってなったけど、本当はアイヌだからってアイヌ語をわざわざ学ばなくてもいいと思っていて。でもそこで褒めるとさ、学ぶことが強制みたいになっちゃうじゃん。もちろん、みんなが話せたらいいなって思うよ。150 年前の生活をしてないにしても、カムイと一緒にいる自分を含めてのアイヌ語があるならいいと思うんだけど、なかなか難しいし―。日本語が母語の在日コリアンの人たちが韓国語を学ぶのは、アイヌたちがアイヌ語を学ぶのとは違うのかな?

サジ 一世と二世は「偉いね」というよりも「誇りです。やりましょう」みたいな感じやったと思う。いまより在日をめぐる状況がすごく悪かったけど、みんな元気やったから。民族運動のとき、韓国語を含めた民族教育にも力を入れてて。

マユンキキ そうか、いまサジの世代でそこまでならないのは、韓国語を学ぶ人が増えて、珍しいことではなくなったのもあるのかな?

サジ 貧困から抜け出したのもあるし、在日の立ち位置が昔より少しよくなって、存在を認められるようになったのもあるかなと思う。あと、エンターテインメントとしての文化がすごい入ってきて、そこにコリアンルーツの人たちが自ら接続する状況になったのもあって。最近、すごいびっくりしたのが、私らの世代までは在日というのをわざわざ言わんかったんやけど、いまは四世や五世ぐらいの子が、「自分は韓国人なんです」「めっちゃ、うれしい」みたいなことをすごい言ってて、帰化するのを逆に嫌がる。言葉を学ぶのも、民族の誇りとかではなくって、もっとカジュアルなものになっている。

マユンキキ そうね。あと、もうちょっとポジティブだよね。アイヌも一緒よ。若い子がポジティブに。もちろん悪いことじゃないけど、うっ……てなる。

サジ 次の世代の人たちがそうなっていくのは望ましいことではある。アイヌはマジョリティーによって言葉や文化を切断された民族やし、コリアンも断ち切られそうになった民族ではあるんだけど、それをもう一回経験しろとは言わへん。本当にしんどかった時代やったと思うし。でも経験したからこそ、わかる痛みってあって。それがあると、たとえば、日本で言葉で意思疎通ができずに孤立している海外の人の痛みまで想像できたりする。そのつらさやしんどさを想像するのを放棄したらダメな気がしてる。それをカジュアルなノリだけでいくんもありっちゃありやけど、その背景に複雑な問題があった過程を知ってるか知らへんかで、言葉によるコミュニケーションに対する考えや行動が変わってくると思う。しんどいのを経験させたくはないけれど、スルーは違うかな。

マユンキキ カジュアルに学ぶのもいいと思うの、ぜんぜん。いいけど、苦しくて学びが止まっちゃう人のことを怠慢だって思わないでほしいなって思う。得られたはずの言語であると考え続けるのって超トラウマだからさ。トラウマを抱えている人たちがたくさんいて、自分たちと学びの速度が違うことが共有できているといいなって思う。言語の習得にはカジュアルさも必要なのはわかる。ただ、できないよ(笑)。考えちゃうもん。だってさ、自分の親が話してないの、けっこうキツいのよね。

サジ キツい(笑)。

マユンキキ ひいおばあちゃんの世代が母語で、おばあちゃんや両親は話せてないから。ただ、さっき言った叔母、私の母の妹は上の世代との交流がすごいあった人で、ナチュラルにアイヌ語が入ってるけど、話さないわけ。で、学んでるとさ、知ってることが増えるじゃない? でもそれをさ、あんまり言えないじゃん? 学んでる人たちに。

サジ うん、言えない。代々それの繰り返しかなと思ってて。ひと昔前は全部歴史になるから、次の世代はそれを客観的に見てるところがある。実際にその時代を経験した当事者はおじいちゃんやおばあちゃんや親とかなのに、客観的事実を知識として得ているから、恐ろしいことに自分までなんか知ってる気になる。

マユンキキ なるよね! その場で経験してないのに、知識として自分のほうが知っちゃってるよ、みたいな気持ちになる。

サジ そうそうそう。で、一緒に泣けなかったり、慰められなかったりした申し訳なさもあって、なんかつらいよね。人としてつらくなるというか。親が言葉を教えてくれなかったって言うとアレやけど、言葉を継承することが不可能やったことを恨めないし、責める気にもならない。同時に、それで世の中を恨むことも自分はできひんなって思うから、それがすべて自分にくる(笑)。

マユンキキ 恨んじゃったほうが楽なんだよね。恨んじゃいたいなって、たまに思うもん。

サジ そうそうそうそう。昔は時代の変わる速度がゆっくりだったから、上の世代に共感できる部分がもっと多かったんじゃないかな。でも、いまはスピードがあまりにも速すぎて、20 代とかの子のほうが、もしかしたらすごい知ってるやろうし。「古い考え方やな!」とか言われそう(笑)。

マユンキキ なるよねえ。でも、渦中だからわかんないんだよ、うちらはさ。早く振り返るタイミングに行きたい。いつになったら「ああ、あのころはね」ってなるんだろうって思ってる(笑)。

サジ (笑)わかる。

金サジ
自身のコリアンディアスポラの身体的、精神的アイデンティティの「揺らぎ」をきっかけとして活動を始める。創作物語を演出写真の技法を用いて作品を制作する。活動の一環として、韓国舞踊家、金一志の下に師事。韓国伝統芸能を学びながら、ディアスポラに代々継承されていく歴史・民族精神のトラウマから生まれる新たな可能性を探っている。赤々舎より写真集「物語」を出版する。https://kimsajik.com/


言葉をめぐる対話2

イタカㇱ(itak=as)かのこと

マユンキキ 英語をやりはじめたのは、いつ?

田村かのこ(以下、かのこ) すごく小さいときから。両親が英語に触れさせようと知り合いの英語を話せる人に家に来てもらって。小学生からは英会話教室に通ったり。

マユンキキ 外の人から教えてもらうばっかりなの? ご両親は?

かのこ 父親はフランスで仕事をしていたからフランス語のほうが得意で、英語は「わかります」程度かな。母親も「ちょっとした会話なら」程度。

マユンキキ でも、かのこにはフランス語じゃないんだね。

かのこ 英語を話せれば武器になると両親が実感していたから、私に習わせようという気持ちがあったのかな。それで中1からサマースクールに行かされ。中高一貫校に通っていたから、友達と一緒に同じ高校に上がりたくて泣いて抗議したけど、「ダメです。あなたは高校から留学することになってます」って。

マユンキキ 自由がない(笑)。高校生のいちばん遊びそうな時期が、スイス?

かのこ そう。高校3 年間がスイスのアメリカンスクール。

マユンキキ 行ったときには、ふつうに英語で意思疎通できた?

かのこ 日常生活は問題なくできた。高校にESL のクラスがあって、英語が母語じゃない学生向けに先生がシンプルな言葉で説明してくれる授業が用意されていたの。最初は全教科ESLで、卒業する前にはふつうのクラスに入った。でも、16 歳のデリケートな時期にメインの言語が切り替わったから、フラストレーションがすごくあった。友達にはシャイな子だと思われて。本当は言いたいことがいっぱいあるじゃない? でも、言わずに我慢したり、言い方がわかんなかったり。だから、日本の高校に行ってたらどうなってただろうと、よく考える。

マユンキキ もっと弾けていたかしら。

かのこ (笑)まったく別の人間だったと思う。性格にも影響したし。そのあとアメリカにも留学して、大学に行って帰ってきて、最終的に日本の文化と海外で身につけた文化を自分のなかでブレンドして、いいとこ取りをしようと思って調整できたけど。調整する前はもうなんかブレブレ。

マユンキキ スイスは英語なの? メインは。

かのこ 住んでいたところはイタリア語圏。スイス語はなくて、地域ごとにいちばん近い国の言語を話している。だから地域によってイタリア語・フランス語・ドイツ語、あとは小さいエリアでロマンシュという言語を話していた。スーパーとかに買い物に行くと、イタリア語・フランス語・ドイツ語で表示されている。そこまでやるんだったら英語も書いといてくれればいいのに。だから英語を本当に話せる人はそこまで多くないかも。

マユンキキ かのこはイタリア語も話せるの?

かのこ 話せない。料理を頼むとか、必要最低限のイタリア語はわかっていたけど、第三言語までやってる余裕はなかったから。

マユンキキ でも、それで英語を生かした仕事に就くまでになった。

かのこ 英語が好きでこの仕事を選ぶ人もいるけど、私はそういう思いはなく。しかも、いまでも英語が完璧じゃないコンプレックスがすごくある。

マユンキキ でも、いろんな人が「田村さんの通訳は完璧です」って言うよ。

かのこ いや、中学まで日本でふつうに暮らしたので、日本語のほうが好きだし、強みだと私は思っている。中学までに読んだ本で培ったものが、すごく大きいと思う。それに比べると英語は、英語だと “acquired”なんだけど、獲得した言語という感じがすごくして。努力して、なんとか話せるようになったから。仕事にしているからこそ、完璧にはしゃべれないことに自覚的で、不自由だと思うときもある。アートが好きだけど、自分はアーティストじゃないと思ったから、アートの世界にどう関わるかを考えたときに、答えは「言葉」だったんだよね。コミュニケーションをとったり、自分の気持ちを言語化したりが好きだったから、英語が話せることは武器になるなって。

マユンキキ まったく知らない人の通訳をするのと、私ぐらい近い人の通訳をするのは、どっちが楽?

かのこ うーん、別の楽さと難しさがある。通訳は事前にどのぐらい準備できるかが質を左右するから、その人の過去の活動や書いたもの、発言などをもとに勉強して臨むので、もちろん初めての人のときの大変さはある。マユンさんとは友達としてずっとやりとりしているから、あらためて予習をする必要はない。その点は楽と言えば楽だけど、マユンさんの気持ちがわかるからこそ、仕事として大変なときもある。感じていることが手に取るようにわかるから、なんなら発言する前に通訳できそうな感じがして―。

マユンキキ (笑)

かのこ それをあらためてマユンさんの口から聞くと、きちんと向こうに伝えなきゃならないという気持ちが強くなるけど、通訳としていい仕事をするためには冷静さも必要だから、そこのバランスをとるのが難しいかな。

マユンキキ 私は第一言語が日本語になっているけど、本当はアイヌ語だった可能性もあるなかで、そのうえ英語を話したくないと思っているのね。もちろん英語圏の友人と話すときは、ちゃんとした言葉になってなくても話すけど。いまのところ、かのこと私が一緒に行くのは先住民の集いが多くて、そこではアイヌの私が話すこととして言葉が届かないといけないじゃない? かのこは先住民じゃないけど、やりにくいとか、実はちょっとつらいとか、ない?

かのこ 意識はするよ。

マユンキキ そうよね。日本でマジョリティがマイノリティに何をしてきたかといった話になりがちで、そうなると、マジョリティ側のかのこがそれを語らなきゃならなくなる。かのこに対して暴力的だと思うわけ。

かのこ でも、その前にマユンさんがそれを語らなきゃならない。

マユンキキ そうね、もちろん(笑)。

かのこ たとえば、オーストラリアに行ったときも、先住民の人たちがたくさん集まっている場にマユンさんはアイヌとして呼ばれる。そうなると、そこにいる全員が先住民で、私だけがそのルーツをもたない。私は本来なら呼ばれない人だけど、マユンさんのコラボレーターとしてのみ、そこにいる権利を与えられているんだと意識する。でも、「すみません」みたいなのも違うじゃない?

マユンキキ (笑)でも、難しいと思うんだよ。とくに私たちの関係性があるなかで、かのこがいったん言葉を受けとめるじゃん、全部。言葉を受けとめて吸収して、次に託すわけじゃない? それ、大ごとよね。

かのこ それは通訳の宿命というか。誰の通訳をするときも、それは大ごと(笑)。マユンさんの通訳で思うのは、心を無にしないということ。感情のスイッチをオフにしないで、和人としてどう感じるかも受け止めつつ通訳もする。それを両立しないと意味がないと思う。通訳の私と和人の私は切り離せないから。

マユンキキ オーストラリアでアイヌの遺骨の話が出て、これを訳したら私が傷つくのが100%わかっている状況で、私に話して、私が受け止めて、私が泣いてから、かのこも泣くじゃない? けっして先に泣かない。

かのこ そこは、通訳しなきゃという責任感がそれを保ってくれている。

マユンキキ でもさ、そのあと私と一緒に泣いてくれるじゃない?

かのこ うん。だって、もう伝えたから。預かったときは、まだ預かった状態だからそこで何かするわけにはいかない。

マユンキキ そうだよね(笑)。かのこは大変だけど、それでも私は英語を話さない権利がほしいです。

かのこ 通訳を介して話す権利、選択する権利。

マユンキキ 誰もが自分の選択した言語で話せるようになるべきであることを主張するため、かのこに協力してもらっている。でも、ずっと傷つけている。

かのこ うーん。でも、マユンさんがひとりで傷つくよりいいじゃん。

マユンキキ 私はこのふたりでやることが重要と思うのね。たとえば、私が感情的な言葉を発してしまったときに「本当に大丈夫?」みたいに聞いてくれるのはこの関係性だからこそ。これが同じ先住民同士だと冷静さが足りないと思う。

かのこ ふつうに考えれば、アイヌの人が通訳したほうがたくさん伝わるとか、よりよく伝えられるとかあると思うけど、私たちの関係においては、マユンさんがいつもいろいろシェアしてくれているから、私にアイヌの知識が足りなくても、マユンさんが伝えたいことはわかる。知識はマユンさんが補ってくれるし。そこで私がベストを尽くすことによって、マジョリティの側からアイヌにまつわることに働きかけられるんだったら、意義があると思う。

マユンキキ 私が英語を話さなければならないみたいなのが嫌なわけ(笑)。でも、かのこも英語を話さなければならない状況のなかで習得したわけじゃん?

かのこ 英語を話さなければならなかったのは、私の個人史のなかでは大変な時期だったけど、それは私のもっている特権のひとつであって。私が日本でマジョリティに生まれたのがすでに特権だし、英語を学ぶ選択肢を両親から与えられる環境にあったのも特権で。それはマユンさんがアイヌとして生まれ、自分の民族の言葉が過去に奪われていて、物心つく前に選択肢が日本語しかなかった状況とはまったく違う。マユンさんがアーティストとして、ひとりのアイヌとして、政治的な意味も含めて英語を話さない選択を表明するために私の英語が役立つんだったら、16ぐらいのときに苦労した甲斐があるというか(笑)。

マユンキキ 私が抱えさせられている問題の話をかのこが言わなきゃならないじゃん。「これなんて訳す?」みたいなことが起きまくるじゃん。

かのこ 「えーっ! 日本語でも何言ってるかわかんないんですけど」みたいな話を訳さなきゃならないからね。

マユンキキ そうそうそうそう(笑)。「アイヌより先に縄文人が―」みたいな話になったとき、どうしようか? とかね。

かのこ 話の内容に自分が納得してないのはつらい。アンチの人とかの言葉を「こう言ってます」みたいに訳さなきゃならないのは大変。

マユンキキ 問題の前段から話さなきゃいけないから、すごく長いしね。私が話したことをすごい悩みながら、うーん……となって(笑)。

かのこ だから相手は待たなきゃいけない。

マユンキキ そうなんだよね。いいなって思うのは、待たせるじゃん、私たち。それを多くの人が受け入れてくれるといいな。もっとスムーズにコミュニケーションをとれたらってなりがちだけど、第一言語の日本語で話し、信頼している人が通訳してくれるのが当たり前になると、みんな楽になると思う。

かのこ 英語では、“Do you speak English” ってふつうは聞く。「話せますか?」ではなく、「話しますか?」なんだよね。日本語も「英語を話しますか?」と聞くほうがいいんじゃないかな。「話せますか?」だと、「できるほうがいい」「できないほうが悪い」という物差しから抜けられないから。

マユンキキ かのこはいつも、「マユンキキは英語を話さないので」と言ってくれる。「話せないので」とは言わないもんね。

かのこ そう。選択的意思として。それに本当はわかってるの知ってるよ(笑)。

田村かのこ
Art Translators Collective 代表。アートトランスレーターとして、日英の通訳・翻訳、コミュニケーションデザインなど幅広く活動。人と文化と言葉の間に立つ媒介者の視点で翻訳の可能性を探りながら、それぞれの場と内容に応じたクリエイティブな対話のあり方を提案している。札幌国際芸術祭2020ではコミュニケーションデザインディレクターを務めた。東京藝術大学大学院美術研究科グローバルアートプラクティス専攻非常勤講師。NPO 法人芸術公社所属。

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