2024年04月18日(木)

翻訳できない わたしの言葉| 南雲麻衣 ステートメント

南雲麻衣のインスタレーションのテーブルの上に置かれているハンドアウトのテキストデータです。翻訳、読み上げ、拡大、白黒反転など、ご自身が使いやすいようにご利用ください。

Below is the text data from the handout available in the installation work by Mai Nagumo. The online text can be translated, read out loud, enlarged, have their colors inverted from black to white, etc. as you like.

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「母語の外で旅をする」

南雲麻衣

辞書を引くと「母語」とは、幼児期に最初に習得される言語と記述されている。

この定義に当てはめるのならば、幼児期に聴覚を失い、聞こえなくなった私の母語は、音声日本語になる。

聴者にとって、音声言語を母語として獲得するのは自然なことだろう。しかし、私にとって音声言語は、聞こえている音や言葉が抜け落ちて聞こえてくる、おぼろげで頼りない母語だった。自分が発する言葉が相手にどう届いているのか、相手の言葉と私の理解が合致しているのか、ずっと不安がつきまとい、どう言葉が投げかけられるのか常に身構えていた。安心できない世界を一人でどうにか生きていく、まるでサバイブ(生き残り)のように。

失聴する前は口を開けばずっとお喋りばかりしていた私に、聴者である両親は人工内耳適応手術を受けさせた。術後、私は埋め込んだ機械から再び「音」を取り戻した。両親は、聞こえて話せるようになったことを涙ながらに喜んだという。

そう聞くと何とも言えない感情が押し寄せてくる。この感情が何なのかは言葉にできない。

聴者の両親のもとに生まれたろう児は、多くの人がこれと似たような過程をたどっていく。

「私たち」の多くはいずれ、同じようにどこかでもう一つの言語である手話や仲間と出会い、「ろう者」のアイデンティティを獲得していく。そして「手話がなければ、今の自分はいなかった」とも思うようになる。(もちろん手話は選ばずに音声日本語を選択していく人もいる。)

そう考えると「最初から音声日本語でなく、母語は手話でありたかった」とどうしても思ってしまう。

母語は英語で母の舌”(mother tongue)という。舌と手はほど遠いので、手話を選択することは、聴者である親にとっても、そう簡単なことではなかったのだろう。

『エクソフォニー 母語の外へ出る旅(著者:多和田葉子)』の一説にこのような言葉がある。「自分の母語に帰還するのではなく、個人の選択の自由を最大限に利用して、全然別の言語を選ぶという態度に清々しいものを感じもした」。

この一文にある通り、家族、友人、仕事、自分の属するコミュニティによって、自分の言語が揺さぶられたり、確固たるものになったり、裏切られたり、その都度に私の中にある言葉も変わっていく。

2つの言語を持ち、日本で暮らすことで、いかにこの国が単一言語主義の帰属意識が強いかを意識させられる。本当の私はどちらであるのかと常に問いかけられるような空間にいる気がするからだ。

実をいうと私自身もその曖昧さから逃れて、着地点を見つけたいと考えていたことがあった。だが、出来なかった。

母や学校の友人、仕事など、さまざまな人々とコミュニケーションを取る上で、私は聴者とは音声日本語、ろう者とは手話で話している。私は 常に「ゆらぎ」にいるからだろう。

一番得意な「第一言語」である手話に帰還する時、頼りない母語がくっついて離れない時もあり、何かが抜け落ちる感覚を味わう時もあり、言葉は身体で記憶していると常に実感できる。

本当の私は他者によって決められるものではない。

私が他者との関わりの中で、どの言語を選択したかが重要な意味を持つのではないだろうか。

頼りない母語ではあるが、それでも身体に染み付いていて私を形成していった一部である。導かれるように母語の外を出て彷徨い、旅を続けながら、日本手話をベースに第一言語として生きていくと決めた。

本作品は、言語をめぐる三つの旅が記録されている。

母語の外で旅をした私は、まず母と再会し、アルバムを見ながら改めてどう思っていたかを振り返り、その対話を記録した。テーブルを挟んで座る私の表情は、母の眼差しをしっかりとらえていた。言語の間で旅をした経験の蓄積があってこそ母の第一言語に向き合えているのだろうか。

それと対をなすように、ろう者の友人と「家族」をテーマに話す様子を記録した。<わたしたち>はそれぞれが育った家庭の食卓の様子を、レゴを用いながら気軽に語り合う。異なる家族構成のなかで生まれ育まれたコミュニケーションの有様や生活文化を、手話で談話している様子を収めた。

最後に現在、生活をともにしている聴者のパートナーとのやり取りを記録した。空間によって手話だったり音声日本語だったりと、言語の持つ性質を最大限に利用して聴覚も視覚も織り交ぜて話している様子を映像に納めた。

これからも立ち止まらずに変化を受け入れて旅をしていくことが、私の中でようやく単一言語主義に抵抗するひそやかな希望だと信じている。

用語説明「第一言語」:幼児期に初めて習得した言語を「母語」、自分が一番得意だと考える言語を「第一言語」として区別して使用している。

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