フセイン・チャラヤン ファッションにはじまり、そしてファッションへ戻る旅
Hussein Chalayan- from fashion and back 展示作品の詳細
《逸脱する流れ》
ロンドンのセントラル・セント・マーティンズ・カレッジ・オブ・アート・アンド・デザインでファッションを学んだチャラヤンは、1993年の卒業制作において《逸脱する流れ》というコレクションを発表。数ヶ月間土の中に埋め、掘りおこしたシルクのドレスを核とするその内容は、大きな反響を生み、ロンドンの老舗ブティック「ブラウンズ」のショー・ウィンドウを飾ることになり、それが翌年自身のブランドを立ち上げるきっかけとなった。
《慣性》
スピードは、生活のあらゆる領域において必要不可欠な要素となっている。デジタル・コミュニケーション、旅行、商業はすべてスピードに左右され、ものの本質よりもむしろ、そのスピードによって善し悪しが判断されることも少なくない。三体のマネキンによるインスタレーションは、一つの流れをもって展開する。まず車の部品と身体内の空洞を表現する服に始まり、続いて、自然界を象徴するような有機的な形態をもつ服が登場する。ドレスの胸元には割れた車のフロントガラスが取り付けられている。最後のドレスは、まさに衝突の瞬間をあらわしている。スピードの真っ只中にあり、衝突の原因と結果を同じ時空間に包含する。これら三着のドレスには大破した車やナンバープレートのイメージがあしらわれている。
《パノラマ》
本コレクションの出発点は「語りえぬものについては、沈黙せねばならない」(註)というオーストリアの哲学者ルートヴィヒ・ウィトゲンシュタインの言葉である。核となるコンセプトは「カモフラージュ」。それは個人が完全に環境に溶け込んでいく過程で、あらゆる個性が失われていく様をあらわしている。これは言語や制度によって規定されているものを通じて、私たちがいかにアイデンティティを失っていくかについて言及している。本コレクションのショーでは、鏡が象徴的に用いられ、重要な位置を占めた。モデルたちは鏡の背後からキャットウォークに登場し、その姿は鏡に映り込み、歪められ、増殖し、そして鏡の裏へと消えていった。
(註)ウィトゲンシュタイン著(野矢茂樹訳)『論理哲学論考』、岩波文庫、2003年、p.149
《アフター・ワーズ》
《アフター・ワーズ》は難民の苦境、そして戦時中に突然わが家を強制的に去らねばならない恐怖から着想を得たコレクションである。チャラヤンは、自身の家族を含むトルコ系キプロス人が、1974年国が南北に分裂する以前に、キプロスで民族浄化にさらされた過程を考察したことをきっかけに本作品を制作した。このコレクションは、そうした苦難に直面して家を離れる際に、所有物を隠そうとするのか、あるいはいっしょに持ち去りたいと切望するのか、その心理を探ったものである。リビングにはモダンな様式の椅子と円形のコーヒーテーブルが置かれ、そこでは服が椅子のカバーに、スーツケースが椅子に、そしてスカートがテーブルにそれぞれ姿を変える。
《束の間の瞑想》
本コレクションでチャラヤンが提示しているものは、彼の故郷であるキプロスを形作ってきた移住の歴史、その経路を辿ることで、過去と現在を結びつけることである。彼が、このような時空間をまたぐ民族移動を究明するための鍵として用いたのは、遺伝人類学。ここでの服は、過去と現在を繋ぐ考古学的なお守りとして、そして究極的にはそれ自体の考古学的探求において凍結された断片となるものとして捉えることができる。なお、本展覧会では、キプロスの歴史がプリントされた生地を用いたドレスを中心に、その周囲を同じ柄の壁紙が囲んでいる。
《アンビモルファス》
《アンビモルファス》と名付けられたコレクションは、空間、時間、力、無力、有機的、機械的、民族的、モダンといったさまざまなコンセプトが立ち替わりあらわれる世界を巡る想像の旅と解釈できる。ショーにまず登場したのは、きらびやかな刺繍を施したトルコの民族衣装をまとったモデルだった。次々に登場するモデルの服からは“民族的な”要素が徐々に薄れ、長くて、モダンな“西洋的な”コートの黒にとって変わられる。ショーのフィナーレは黒いドレスから始まり、それが冒頭に登場したような民族衣装へと変化していった。
《不在の存在》
この短篇映像作品は、テロリズム問題にまつわる不安感情と被害妄想を扱ったもので、入国管理の“厳格化”政策が導入されたことに起因する、外国人に対する疑念に着想を得ている。チャラヤンは、制度が将来どのように個人を尋問することになり得るのかというシナリオを描いた。ティルダ・スウィントン演じる生物学者が非英国人の女性たちに服を寄付するよう促し、その服から、彼らのDNA配列を調べるために細胞を検出する実験を行う。一連のアニメーションによって、寄付をした女性たちがどのような外見なのかが表現される。このデータは、匿名の服の提供者と実際に面接することによって、分析結果の正確性が検証されることになる。
《リーディングス》
本コレクションは、太陽崇拝とセレブへの礼賛から着想された。本展覧会で出品されたものは、スワロフスキーのクリスタルと200本もの可動式レーザーが組み込まれたドレスに、ジャケットと帽子。この技術は、チャラヤンがここで初めて使用したもので、レーザー光線は、モーターで動くカスタムメイドの留め具で服に固定されている。最初はクリスタルの上を照らしているレーザー光線が次第に身体から離れ、何本もの赤い光線を空間に向かって解き放つ。このグラフィカルな光線は、パフォーマンスにオーラを与え、その光の空間はスペクタルの形態を創出する。
《ビフォア・マイナス・ナウ》
《ビフォア・マイナス・ナウ》は人類、テクノロジー、そして自然の力の関係を探究した作品である。インスピレーションの源となったものは重力、膨張、天候といった無形の現象―つまりそれらは、自然界に多様な形状を生み出す力である。今回展示しているドレスは、山々が何世紀にもおよぶ地殻変動の突き上げや浸食によって形成された過程に着想を得ている。ここでチャラヤンは不定形のチュールの層を、標準的なドレスの形状に近づけるために長さに違いをつけてカットした。
《明白なる運命》
チャラヤンは西洋の拡張主義の物理的、心理的な影響に関心を寄せている。厳密な西洋の服のスタンダード、例えばしばしば身体を覆い隠し、紐で編み上げ、変形させようとするような規格は、そうしたイデオロギーを押しつけるための手段と見なすことができる。チャラヤンはこのコレクションにおいて先進国における服の意味を探り、西洋の伝統から身体を解放することを試みた。手始めに解剖学に基づいて服をデザインし、服の下にある身体を露呈させるために弾力性のあるストレッチ素材を用いた。最後の4着のドレスには様々な箇所に穴を開け、身体の諸器官を表し、また色のついたストライプは重なり合った皮膚の層を表現している。
《ジオトロピクス》
《ジオトロピクス》では、戦争や文化をもたらす、国境や河といった地勢的な特徴がもつ役割を考察する。チャラヤンは、中国から西洋へと続く2000年もの歴史をもつシルクロードに沿って、異なる時代と場所の民族衣装を混在させたCGアニメーションを制作した。本コレクションはそのアニメーションに基づいている。三体のマネキンが着ている、ワンピースが反復しているドレスは、場所から場所への移動をあらわしている。また、このショーのフィナーレで登場したのが、椅子と一体化した服で、モデルと椅子が単体としての存在のように見えるものだった。
《休息》
チャラヤンは空を飛ぶという概念に魅了されている。彼は空港を国境と見なしていると同時に、自身のトルコ系キプロス人としての立場とロンドン生活との文化的な隔たりを象徴する、物理的な境界であるとも捉えている。航空機の翼が壁から突き出し、大きなフラップがゆっくりと上下すると、後方からずらりと並ぶLEDライトによって、スワロフスキーのクリスタルが照らし出されるという仕掛けである。また1人掛け用の椅子も壁から突き出しているため、乗客は航空機の外に座っていることになり、このことは、飛行が身体感覚からかけ離れた経験であることを明示しながら、空を飛ぶことの不条理さや興奮、そしてその体験を表現している。
《場から旅路へ》
《場から旅路へ》は、チャラヤンがデジタル・デザイナーのニュートラルとのコラボレーションによって発案、監督した短篇映像作品である。この映像は私たちの意識にあるスピード、テクノロジー、移動が意味するものを、幾つものメタファーやシンボルを使って探究したもの。チャラヤンはロンドンからイスタンブールへの想像の旅を生みだし、観る者をリアルな都会のストリートから夢のような風景へといざなう。スピードを上げるポッドには中性的な女性が乗っており、彼女はその中に、一時避難所、もう一つの人生の記憶、孤独、郷愁、探検といったものがすべてひとつに混ざり合っている架空の生活空間を作り出している。ポッド型の乗り物が向かう先はボスポラス海峡である。ポッドが最後に地下の駐車場へ入っていく前に、イスタンブールの街の中央に位置するトルコのアジアとヨーロッパを隔てている、この海峡を通る。これが旅の終点であると同時に、新たな旅路の出発点でもあることを象徴的に表している。
《ブラインドスケープ》
盲目になるとは、どのような感じであろうか?それが《ブラインドスケープ》というコレクションの始まりだった。チャラヤンは目隠しをして、ジャケットやパンツといったごく基本的なアイテムのスケッチを行った。ショーでは、悪夢を象徴する獰猛なモンスターで溢れる荒れ狂う海が描かれた、野性的で劇的なプリントの服が発表された。最後に、穏やかな海に入り、青いビーズをあしらい、静かの海をあらわしたプリント柄の服でショーを締めくくった。東京都現代美術館のインスタレーションでは、七つの島の上でそれぞれマネキンがオリーブの木に水をやり、彼の子供時代の心象風景でもある北キプロスの地中海の雰囲気を醸し出した。
《エアボーン》
私たちの文化は、死とは生と相反する力であると見なす世界観を確立してきた。世界の様々な気候をメタファーとして使用したこのコレクションは、天候のサイクルとリンクするある種の力や死への恐怖を反映させている。気候は絶えず移り変わり、あらゆる生命体の生と死は、つねに流動的な状態であることを示している。このプロジェクトは春、夏、秋、冬の、4つのパートで構成された。春と夏のパートでは、それぞれ1万5600個のLEDとクリスタルを組み合わせたLEDドレスが発表された。
《地から離れられない》
《地から離れられない》を見れば、フセイン・チャラヤンが人間のフォルムにいまなお魅了されていることがわかる。このコレクションは、常に変化する環境に人体がどのように対応していくか、また、絶えず移り変わる状況の中でも変わらずにいたいという願い、あるいは、身の回りの建築物が織りなす景観の発展が身体の形成に投影されていく様に発想を得ている。
建築、構造、建設過、素材といったものはすべて、このコンセプトを衣服へ置き替える際に不可欠な要素である。本コレクションでは、特別に開発されたボンディング加工の灰色のパファが、いわばコンクリートの基礎を想起させる。また、目の細かい黒、白、灰色を織り込んだ彫刻のような生地を、有機的なドレープを描くミニドレスに仕立て、流れるような液状のコンクリートを表現した。灰色のアスファルトの歩道の写真によるプリントは、基礎から地面へとコンセプトを移動させ、ソフトレザーのパンツや、メタルビーズで刺繍を施したプリント柄のシフォンに、質感を与えている。強力なストレッチ素材で作られたコンクリート・プリントのビスティエ・ドレスは、ショート丈でタイトなシルエット。これに、ビンテージ加工の大きなサイズのバイカージャケットを組み合わせた。そしてショーの終盤には、建築現場の足場と石をプリントした、ターコイズとコーラルで潤色した服が登場。これらは最後に、鮮やかな色の成形レザー製のバストとヒップが張り付けられた、コンクリート・プリントの柔らかなレザードレスのセクションへと移り変わる。こうした要素を束ねて建築のイメージを作りだし、現実とファンタジーの境目をあいまいにしている。
《無為な日々を過ごす甘美さ》
《無為な日々を過ごす甘美さ》は、6つの異なるグループにデザインされ、ショーはフセイン・チャラヤン自身の司会により進められた。
このコレクションは、50年代のシルエットにモンゴルのテイストを加えたスタイルからはじまり、90年代風のブラック・レザーと白いデニムにストライプがプリントされたジャージー素材を組み合わせたスタイルへと移り変わる。ネイビーブルーのストライプとミルクのようなドレープが登場する場面では、気ままに遊び楽しんでいるような気分と、フランスの保養地ドーヴィルの海を思い起こさせる。最後のグループでは、よじ登ろうとする手のイメージが多用されており、これは現代の上昇志向と野心を表現したものである。